東京クリッピング private 3

将来の自分のための備忘録 東京のあちこちでみてきたモノ・コトの記録を中心に 2012年4月から

■■■■■■■■ タイトルに二重カッコは使いません。 ■■■■■■■■

マームとジプシー「cocoon」@池袋 東京芸術劇場

8月7日 水曜日
昼間は東陽町で研修。夜、池袋芸術劇場シアターイーストでマームとジプシーの「cocoon」を観劇。

ずいぶんと前から企画され、今日マチ子の繊細かつヘヴィな原作や、そこで描かれた世界に相当な敬意をもって真剣に向き合っていることは事前の劇団ブログなどで知ったので、どんな風に舞台化されるのか楽しみにしてこの日を迎えた。


以下、ネタバレ注意。






15分遅れで開いた劇場に入る。縦長に奥行きのある舞台。砂が敷き詰められ、奥には映像が投射される幕。戦争を示す玩具の戦車が映されている。
両脇にも座席がしつらえてあり、自分は左側最前列(といっても両脇は2列だけだが)の席を確保。

舞台が始まると、ビデオカメラをもった登場人物が客席をぐるりと撮影し、幕に自分たちの顔が映し出される。これから表現される戦争が、決して他人事ではない、自分たちの世界のことだと予告されているよう。

役者が動き出すと、まずはいつものマームとジプシーのメソッド。モノローグにリフレインで、戦時下の学校生活の日常が、この先の悲劇を予感させながら表現される。

原作と大きく異なるのが、キャラクターの個性を強調していること。原作ではほとんど描き分けられていない双子のユリとマリも、しっかりと個性をもった女の子として現前させている。
オリジナルの登場人物も多数設定され、マームらしく役者自身の名前が名づけられる。聡子、橘髙、そじ子などが女学生の存在のリアルさを伝える。
先生も、自分の役割に悩み葛藤するのが描かれるが、逆に準主役のマユはちょっと存在感が希薄。

ほぼ原作通りのストーリーが展開されるが、ラストシーンは大きく改変されていた。
敵に発見され戦争が終わるシーンはなく、未来への希望が描かれた明るいエピローグは表現されない。
セリフがよく聞き取れなかったが、マユは死んでいったのか。
最後まで生き残ったサンの壮絶なモノローグでのエンディング。

いやおうなく戦争の最前線に巻き込まれていく女学生たちを、生身の人間が目の前で表現することは、想像以上に、ヒリヒリとした感情を観るものに呼び起こすものだった。演出の多様さもあいまって、悲惨なシーンでも舞台から目をそらすことのできない、素晴らしい作品になったと思う。

作・演出の藤田貴大のツイートによると、大幅な変更があり、日々変化しているとのこと。
15日のソワレも予約しているので、どのように変わっているのか楽しみでならない。

細々とした気づきについては別項にて。